東京地方裁判所 平成2年(特わ)1699号 判決 1991年3月05日
本籍
熊本県阿蘇郡阿蘇町大字三久保五〇四番地
住居
静岡県熱海市伊豆山二〇〇番地
無職
下村博
大正一二年一二月三〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官渡辺咲子出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一年六月及び罰金二〇〇〇万円に処する。
未決勾留日数中一〇〇日を右懲役刑に算入する。
右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、かねてより政財界研究所の名称で政財界関係の情報誌を発行する一方、謝礼金を取つて企業等のため秘密工作に当たるなどの諸種の活動をしてきており、昭和六三年一〇月ころからは静岡県熱海市伊豆山二〇〇番地に居住していたが、同年一月末ころ、同様の活動を行つていた元山政治経済研究所の代表元山富雄とともに、当時の国際航業株式会社(以下、国際航業という。)取締役経理部長石槁紀男及び同社経理部次長井上吉明から、そのころ国際航業の株を大量に買い占めていた小谷光浩及びその関係者に圧力をかけるなどして、小谷側に国際航業株を手離させ、国際航業側においてその株を買い取ることができるようにするための工作を依頼され、以後、その工作のため、自己の各種の人脈やいわゆるブラックジャーナリストを利用するなどして、種々の活動を行う一方、石槁らからは、同人らが国際航業内で捻出した金員を、それら工作活動費及び活動への報酬として受け取つていたもので、このようにして右工作活動に伴つて報酬を取得するなどして、昭和六三年中に三億三三五五万七〇〇〇円の実際総所得金額があつた(別紙1修正損益計算書参照)のにかかわらず、所得税を免れるため、石槁らから受領した金員が、金額右工作のために必要な経費として受領したもので報酬を含まず、したがつて自己の所得とはならないものであると仮装するなどの方法によりその所得を秘匿した上、所得税の納期限である平成元年三月一五日までに、静岡県熱海市春日町一番一号所轄熱海税務署長に対し、所得税確定申告書を提出しないで右期限を徒過させ、もつて、不正の行為により、昭和六三年分の正規の所得税額一億九一〇一万七〇〇〇円(別紙2脱税額計算書参照)を免れたものである。
(証拠の標目)
一 被告人の当公判廷における供述
一 被告人の検察官に対する各供述調書(謄本を含む。)
一 収税官吏作成の収入金調査書、工作活動費調査書、所得控除額調査書、査察官報告書
一 石槁紀男(謄本)、井上吉明(謄本)、日下明(謄本を含む。)の検察官に対する各供述調書
一 検察官及び弁護人作成の合意書
一 検察事務官作成の捜査報告書
(争点に対する判断等)
弁護人は、被告人には本件税を免れる意思がなく、また被告人は所得を秘匿するための不正行為もしていない旨主張し、被告人も当初本件公訴事実を全面的に認めていたものの、第二回公判期日以降右主張に沿うかのような供述をしているので、以下この点について検討する。
まず、脱税の意思の点についてみるに、関係各証拠によれば、被告人のこれまでの職業、経歴及びそれらから当然予想される活動内容、経験、交際対象範囲等を考え、また実際に、かつて内妻の店舗の営業に関して青色申告の承認申請やその申告自体に関与するなどしていることからすると、被告人は、千万や億単位の所得のある者が所得税を納めずに済まされるはずがなく、しかも税務署に所得税の申告が必要であるなど、所得税についての基本的知識があつたことは否定できないこと、本件以前にも長年にわたり、何らかの形で収入を得、ときには年間億を超える収入すらありながら、その所得について税の申告、納税を行うことなく過し、納税義務を無視する態度を取つてきていること、そして、本件株式買取り工作に伴い、石槁らから被告人及び元山(以下、被告人らという。)の受領する経費や報酬については、当初、小谷側からの株の買取りに成功した際に国際航業側において株の買取り価額の中に含めて経理処理する旨の話が石槁らから被告人らになされていた上に、本件株式買取り工作の性格からしても、被告人らは、自分達に交付される金員が国際航業側の経理上公表されることはないと理解し、それら金員のうち報酬として自己らの所得となる分についても、一切申告や納税をせずに済ますことを前提に、石槁らから金員を受領していたこと、その後買取り工作が成功せずに終わつてからも、現実に被告人は、後記のとおり、元山からの依頼に協力した上、期限までに昭和六三年分の所得税の確定申告を行わず、その後も本件が発覚し、起訴されるまで申告等を行つていないことがそれぞれ認められる。これらの事実によれば、被告人が、本件当時その所得について申告、納税する意思はなく、すなわち所得税を免れる意思であつたことは明らかであるといわなければならない。
次いで、所得を秘匿するための不正行為の点についてみるに、関係各証拠によれば、被告人らが石槁らから前記金員を受領した際、元山が同席しているときは、元山名義で国際航業宛の、案件終了後は領収証に取り換える旨付記された預り証を、それ以外のときは、被告人名義で同社宛の預り証ないし領収証を、石槁らに交付していたが、被告人ら及び石槁ら双方とも、右金員が本件株式買取り工作に必要な経費の分と被告人らに対する報酬の分を合わせたものであり、買取り工作の成功、失敗にかかわらず、経費として使用された以外の分は、すべて報酬となる趣旨であると認識していたこと、昭和六三年一二月一〇日開催の国際航業の臨時株主総会が迫り、小谷側から同社の株を買い取ることができず、小谷側にその経営権が移行することが確実となつた同年一二月ころ、新経営陣からの追及を逃れるため、被告人らに交付した金員を貸付金に仮装しようとした石槁らからの求めに応じ、元山は、九回にわたつて被告人及び元山の受領した金員計一一億七五〇〇万円のうち、先に交付した前記預り証等の存在した計一一億五五〇〇万円について、新たに元山から国際航業宛の金銭消費貸借契約書八通を作成するとともに、「借り入れた金員は、国際航業から依頼された株の買占め側の株主権行使の制限等及びこれに関連する事項を実行するために利用する。その返済については、株の売買(小谷側からの株買取りの意と解せられる。)が成立した場合には相当の報酬の支払いがあることを前提として、その一部ないし全部を返済することで解決し、売買が成立しない場合には、貸付を受けた金員の性質、目的を考慮して双方で返済につき相談する。」旨記載した国際航業宛の覚書も作成し、右金銭消費貸借契約書とともに石槁らに交付し、元山は、被告人及び元山の受領した金員があたかも報酬を含まず、全額経費として交付されたもので、未費消分については精算による返済を予定しているものであるかのような仮装手段を取つたこと、被告人は、遅くともその後まもないころには、右金銭消費貸借契約書等を交付したことを元山から聞かされ、仮装手段が取られたことを知りつつ、なおもその仮装手段を進めるため、元山の求めに応じて、真実は受領した金員一一億七五〇〇万円を、それぞれの報酬分を含むものとして、元山が三億七五〇〇万円、被告人が八億円と分配して取得していたにもかかわらず、八通の右金銭消費貸借契約書に示された全額が、実際に株買取り工作活動を行つていた被告人に渡つていることを示す、被告人から元山宛の計一一億五〇〇〇万円の領収証八通を元山に交付していること、被告人が取得した八億円のうち、買取り工作の経費として現実に費消したのは四億七〇〇〇万円余りであり、その余が報酬となつて、被告人の所得となつたのであるが、被告人はその所得について所得税の申告手続をする意思はなく、むしろ平成元年度市県民税申告書が送付されてきたのに対し、同申告書に売上(収入)金額として右八通の領収証に対応させて計一一億五〇〇〇万円と、支出金額として右金額から当時定期預金として手元に残つていた二〇〇〇万円を引いた計一一億三〇〇〇万円とそれぞれ記入し、所得欄には何も記入せず、石槁らから受領した金員については、報酬として自己の所得となつている分も含めて、ほとんど全額経費として支出されたかのような記載をして、前記仮装手段と合わせた形を取り、平成元年三月一〇日右申告書を熱海市役所課税課に郵送していることがそれぞれ認められる。これらの事実によれば、本件において、被告人らによる株の買取り工作が失敗に終わり、石槁らから受領した報酬分を含む金員を株の買取り価額の中に含めて処理し、受領自体をも隠匿する当初予定した方法が取れなくなつたことから、右金員は全額右買取り工作のための経費として受領したもので、報酬が含まれておらず、したがつて一切所得とはならないかのように仮装する工作が行われ、被告人自身も、所得秘匿の意思をもつて、右仮装工作の一環をなす受領金員全額が経費として自己に渡つていることを示す虚偽の領収証の作成を行つていることが明らかであるから、被告人の関与した不正行為が存在したことは優に認められる。
よつて、弁護人の主張はいずれも理由がない。
なお、被告人の供述によれば、ゴルフクラブ会員権売買の仲介手数料五〇〇万円を受け取つた際、日下に一〇〇万円を交付したことが認められるが、右仲介を実際に担当したのは日下であり、日下に交付した一〇〇万円は、その労務に対する対価の性質を有することを否定することはできず、これを右手数料収入の必要経費と認めるのが相当である。よつて、訴因より右一〇〇万円を控除した額を被告人の所得とした上、その脱税額を認定した次第である(別紙1修正損益計算書及び同2脱税額計算書参照)。
(法令の適用)
被告人の判示所為は所得税法二三八条一項に該当するところ、情状により罰金額につき同条二項を適用した上懲役刑と罰金刑を併科することとし、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年六月及び罰金二〇〇〇万円に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。
(量刑の理由)
本件は、秘密工作を請け負つた被告人が、依頼者から約八億円の現金を受け取り、そのうち三億円を超える金額を報酬として手中にし、多額の所得を得ていながら、その所得税約一億九〇〇〇万円を免れたという事案であるが、秘密工作として実態の不明朗な活動を行い、それに対し国民一般の常識を超える法外な報酬を受け取つていながら、その所得を秘匿し、税の申告も全くせず、多額の脱税をするようなことは、国民の健全な納税意識からすると、強く非難されねばならず、厳しい態度をもつて臨まざるをえない。そして、最近数年をとつても所得税等の申告・納税を行つた形跡はなく、本件でも当初から納税をする意識はなく、所得のほとんどを散財してしまうなど、被告人には納税に対する規範意識が欠けており、また、現在まで脱税分の一割にも満たない金額が納められたに過ぎず、残りについては将来とも納められる可能性は少ないことをも考えると、本件事犯についての被告人の刑事責任は軽視できず、その年齢や健康状態など、被告人のため酌むべきいくつかの事情を斟酌しても、主文の刑に処するのが相当である。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松浦繁 裁判官 西田眞基 裁判官 山田明)